1/21/2016

平等


先日の東浪見駅連続チャリ盗難事件。

どんな事が起きても動じない強いメンタルを鍛える為に日々修行だとか言っても、真夜中の無人駅に降りて、そこにあるはずのチャリが無いくらいで軽くパニックに襲われているようじゃまだまだである。

おそらく通算10回は下らないこの東浪見駅チャリ盗難事件、、、。それもこの度は1カ月に2回目というかなりの短期間だ。

もちろん盗んだ奴が良くないのは当たり前だけど、インドなどを旅するうちに僕はいつしか盗まれる方も同じくらい悪いと思うようになった。

泥棒に盗ませる機会を与えてしまう、つまりバッドなカルマ、業を積ませてしまうこちら側にもかなりの落ち度があると思っている。

だからいつもはチェーンを鉄パイプに引っ掛けて施錠してるのが、この日は何故かタイヤにかけただけだった。10回も盗まれてるとそれが習慣になっているはすが、本当にその日は何故か、鉄パイプにかけなくて大丈夫かなと頭に思いがよぎったにも関わらず、土曜日だし人の出入りもあるだろうしっていう意味不明な理由でかけなかったが最後、見事にパクられた。

東浪見駅は昼間は1時間に1本しか電車が無いので人気が全く無い駅なのだ。



北風が心の中まで吹きすさむ夜中の田んぼ道をテクテク歩きながら、チャリを盗まれる度に必ず思い出される例の事件に思いを馳せながら帰路に着くことなる。そして今後も盗まれる度にその事が思い出されるのであろう。



その事件とは水平器盗難事件のことだ。盗まれたんじゃなくて、僕が万引きしたのだ。ガキの頃、何故か水平器。今やどこのホームセンターだったか記憶にも無いけれど、覚えていれば謝りに行きたい気持ちで一杯だ。

因果の法則。この宇宙を司っている万法なわけだけど、自分のしたことは寸分の狂いなく自分に返って来るということ。

誰であろうと関係ない。過去生とか現世とか来世とか分け隔てなくぶっ続けで当てはまり、これから逃れることはあり得ない。

そういう意味でこの宇宙は全ての人間(にかかわらず全て)に対して平等なのだ。

今の自分の姿は自分の過去の行いが顕現したものだから、どんなに最悪の事態が襲って来ようが不幸のどん底だろうが、人のせいにすることはできない。

つまりそいつに数あるチャリの中から僕のチャリを盗ませたのは、複雑に絡み合った遠い過去からの因縁がそうさせたのだ。

水平器が寸分の狂いなく水平を示すように、カルマの法則によって自分の行いはカタチは変われど、時間がいくら経とうが、必ず自分に返って来る。

そう考えると、チャリを盗んだ奴にもそれ相応の結果が返っていく訳だし、それを思うと申し訳ない気持ちでやるせなくなると同時に、改めてカルマの法則を北風小僧を引き連れて身にしみて体験する機会を与えてくれたことに、終いには感謝の念すら湧いてくる。

ただ最も難しいのが、カルマヨーガの最大のテーマである「見返りを求めない」ということであり、良い事をしたから良い事が返って来るから良い事をしようと思って良い事をしているうちは、まだまだ良い事をしている事にはならない。

その卑しい気持ちが無くて微塵にもそんな事を思わないで勝手に良い事をしていた、というようになって初めて大人の一歩を踏み出したことになるのだ。

まだまだ先は長いですなぁ〜、、、。

あと何回チャリを盗まれことになるのやら、、、。





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1/09/2016

波乗りニヤニヤぷち悟り

“目的を持たずにただやる”という究極のテーマからすると、「〜のため」にが入った時点でかなり矛盾したことになるけれど、波乗りというものは欲望から解き放たれて自由になるためにやっているのではなかったのか、、、。

波に乗っている時に、こうしよう、ああしたいという欲望や意図や思考を持たないというのは不可能に近いけれど、 波とひとつになるためにはそこにフォーカスしなければならない。と僕は思っている。

波と自分との間にある、我や欲がある限り波とはひとつにはなれない。

僕が死ぬまでにそこに到達することが果たしてできるのか分からないけど、果てしなく近づくことはできるはずだ。

今年の正月は例年になく珍しく元旦から波が続いた正月で、朝一と夕暮れ時は無風の面トゥル。毎日朝夕とガッツリ2Rounds。休ませてくれなかった。

2016初日ノ出@東ニ浪ヲ見ル


正月休みのうちに終わらせる予定だったウッドデッキ修復工事は、ヘッポコ親方のヘルプがあったのに見事に終わらず、、、新年早々良くも悪くも自分らしさが出てしまい、やってもうた。

ヘッポコ親方 a.k.a KIBOKO



そして終わらず、、、。


朝飯前に波乗りやって朝ごはん食べて10時。3時には夕方のセッションが始まる。そこに軽くランチが入ったら正味4時間しか作業ができない。言い訳にしかならないけど、何にも勝る優先事項は波乗りだから致し方なし。ということで、、、。

コンペティティブな競争的波乗世界の中でガツガツと波を奪い合う人達とのセッションの中でも、20年目にしてようやく波をつかむ術を少しは身につけた次第ではあるけれど、その様な人達からかなり沢山のことを学ばせてもらっていることにフト気がついた。

そういう競争的波乗世界の中でサーフィンしてると、最初に言った「欲望から解き放たれて自由になる」波乗りではなくて、欲望まみれのサーフィンを目の当たりにすることになる。

テクニックや、いかに人から波を奪って多くの波に乗るか、いかに派手なアクションをするか、いかにいい写真を残すか等々に捉われて、求めれば求めるほど波乗りの本質からどんどん離れていくということすら気がつかない。

ま、そんなこと考えながら波乗りしてる奴なんて、かなりの変態オタクだろうから、こんなことを言う方が気違いなのかもしれない。


元旦から海で親が自分の子供を怒鳴りつけて自分のエゴを押し付けている光景を見て、そのプチ悟りは突如やってきた。

そしてその本当に無垢で、見ているだけで子供っていいなぁって思わせてくれるはずの子供が、周りのサーファーにガン飛ばしてオラオラ波に乗って行く姿を見るのは、悲しみである。

そしてさらにそれを見ている親が誇らしげにしているのを見ると、戸惑いを感じるのは僕だけであろうか、、、。

でも、逆に考えれば、そのおかげで僕は大切な教えを受けているわけで、悲しみと同時に感謝の念が込み上げて来るという、摩訶不思議な感情が沸き起こり、ピリピリしたサーファー達の中で一人でニヤニヤしているところを見られて、またそのピリピリサーファーにコイツ何ニヤけてんだ、という怪訝な顔で僕を横目で睨まれるのを感じて、まさか僕がこんな事を考えてるなんて微塵にも思わないんだろうなぁ、と思い、さらなるニヤニヤの境地に突入してしまうのである。

それに加え、自分でこんなこと言うのはおこがましいにも程があるのは承知の上で、、、波というのは欲が無いピュアなところに来るというのが段々分かってきた。

これは僕の体験でしかないかもしれないけれど、波に乗りたいという気持ちが強すぎるとかえって波は来ない。力が抜けてリラックスしている時は波周りが格段と良くなるというのは実証されている。これはヨーガの現世功徳の一つであると思う。

そんなもんで、そういう時に限ってニヤニヤしている自分のところに波が来てしまうのである。来た以上は乗るしかないから乗るわけだけど、僕を始め基本的にサーファーは独占欲が強い人種である。すぐに、アイツまた乗りやがって、と思ってしまう。だからこそ気をつけないとすぐにやっかみを買うことになる。

そこらへんをうまくコントロールするのが今年の一つの課題だなぁとか思いつつ、自分がピークにいるとついつい手を出してしまうのだ。

、、、。

かなりオチのない話になってしまったけれど、今年はどれだけニヤニヤRoundをメイクできるものなのか、僕にはプチ悟りで始まった幸先の良い幕開けとなった。

皆さんもいい波で新年を迎えられたと思いますが、今年もどうぞニヤニヤセッション宜しくお願い申し上げます。

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