5/13/2015

やっちまっただ神秘体験

波乗りは神秘体験だ!

とかあまり大きい声で言うと、かなり怪しまれるし、そもそもそんなことを考えながら波乗りしてる人なんてあまりいないだろうし、しまいには宗教臭いとか言われるので、あんまり言わないようにしてるんだけど、本当にそういう体験を味わってるし、僕にはそうだとしか言いようがないので、たまには声を大にして言いたい。それも超をつけて、、、。

Surfing is beyond Mystical experience....!!



まぁ、そんな話は置いといて、、、

昨日はとにかくヤッチマッタダやっちまっただYachimattaDahの一日だった。

一日中、「嗚呼、やっちまったよ」が頭の中を支配して、何をやっても歯車合わず、、、。


きっかけは友達からのメール。

「今日波乗りすかー?すごい読みだね」

背景を話すと、(すごく長くなりますが、、、)

日曜日、彼と話していて、台風来てるから、水曜は仕事調整して波乗りだね。風も南西だし、絶対いいよ。それも今年初の台風だし、やるしかないでしょっ。と僕の読みをお披露目した会話があった。

が、進路からして、完全にハズレの台風のパターン。上陸はダメだ。

だから、返信は、

「のはずだったんだけど、仕事にしちゃったのよ。
コースが良くなかったからさ。多分夕方には無くなるパターンかな。
この季節はこのパターン多いのよ。
次の台風狙いだね」

、、、。

と、このやり取りの後、猛烈に波が気になりだして、見てはいけない波情報をクリック。



30点とかついてるけど、これ、完全にやれるパターン。

読み大ハズレのやっちゃってるパターン。

いつも、サーフィン イズ エブリシングとかカッコイイこと言っといて、あぁ、俺はバカだ。ホントにアホだ。何やってんだ。あり得ないでしょ。なにハズしてんだ。

、、、。

だけど、それが功を奏したのが、俺のやっちまったダー!が巻き込んだのか、引き寄せちゃったのか、会社的にはあってはならないことだけど、自分が段取りした仕事じゃないのに、あれよあれよと歯車が合わなくなって、終いには手詰まりになってやることがなくなってしまった。

材料がないからやりたくてもやりようがない。

ん?待てよ?もしかして?まじで?

一瞬頭をよぎったものの、それはダメダメ!あり得ない。やることはあるハズだから何か見つけてやらないと。

緊急ミーティングするものの、無いもんは無いし、いつもより少し早く終うことになって、電車を調べたら、

なんと、行けんじゃん。

東浪見 18:25着。

家までダッシュで5分。着替えて18:40入水。からの日没後30分1ヒートサーフ。

市ヶ谷から都営新宿線に乗れば、馬喰町から上総一ノ宮行きの快速に乗れる。つーかそれしか方法はない。

時間も間に合うっつーことでテクテク駅に行くと、

じゃーん。東京メトロの市ヶ谷で、都営新宿線は、お堀を渡ったお彼岸。あと2分、信号は赤。

ちーん。オワタ。щ(゚ロ゚щ) オーマイガーッ!!

またしても、やっちまったダー!に頭の中を支配されそうになったけど、ここは絶対に諦める訳にはいかないのだ。

後はJRに最後の望みをかけて、時刻表を調べると、なんと、錦糸町でその快速に追いつけることが判明。でも乗り換え時間1分。

アドレナリン全開の競走馬になって不良もよけちゃうくらいの階段2段飛ばしの猛ダッシュを錦糸町でかまし、ドアが閉じると同時の駆け込み乗車で車掌に車内放送で駆け込み乗車は迷惑なので止めて下さいとアナウンスされたけど、男は見せたった。

I made it !!

田んぼなのに立ち漕ぎで駆け抜けて、全速力でビーチまで走り抜けるとそこには、、、。

すんげーいい波割れてんじゃん!

それからの30分の集中力は言うまでもなく、Only Surfer knows feeling...を満喫しましたとさ。

って、これだけだったら、こんなに書くことでもないし、必要もないし、書かない。まぁ、よくあることかなぁ、みたいな感じ。



日が暮れて、というかすでに暮れてたんだけど、もう一本、次こそ最後と、繰り返しているうちに遂に真っ暗になってきて、周りには誰もいなくなって、波も全く見えなくなってきたところで、ふと水面に目をやると夜光虫に囲まれているのに気がついた。

夜光虫とは、水をかき回して刺激を与えるとホタルのように発光する、発光プランクトンのことだ。

パドルで腕を水に入れるたびに周りはキラキラ光り、手から滴り落ちる水滴もキラキラ光り、ボードの先っぽから自分に向かって流れて来る水もキラキラ光り、ドルフィンスルーで水中で目を開けると目に向かって光りが飛び込んで来て、そのまま空を見上げると星が一面に輝いていて、自分が光の粒子の中に包まれてしまうというキラキラ極楽浄土、いや極楽浄波である。

真っ暗な海の中で独りきり。光の粒子に包まれて波待ちしていると、自分と波とか、自分と海とか、自分と地球とか、それまで対象だったものが、いまや自分は波とひとつ、地球の一部、しまいには宇宙そのものだ!ということが、頭で考える知識ではなくて体験として飛び込んでくる。

その体験は体験であるゆえに言葉で描写することはできない。

だから仏陀は不立文字をたてた。経典を書いたのは弟子達だ。

真理は言葉では説明できない。言葉にした途端に、対立が生まれてしまうから。それは体験によって得るしかない。

そして、そこには何秒何分なんていう人間が決めた時間の尺度はない。科学なんかでは証明できないけど、時間は伸び縮みするし濃くなったり薄くもなる。

家に帰って時計を見ると20時。ということは、小一時間は波にも乗らずに極楽浄波の彼岸に行ってたことになる。

普通だったら、真っ暗で波も見えないのに、小一時間もプカプカ浮かんでるなんてあり得ないけど、ヤッチマッタからの1ヒートサーフからのキラキラ極楽浄波神秘体験ということで、良しとしましょうか。




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4/07/2015

パプア

人生とは旅だ。

よく聞くフレーズだけど、僕にとっては人生そのものである波乗りもヨーガも旅だ。

順番を逆にして、旅とは〜〜だ。と言い変えた時、皆さんは何と言いますか?

自分へのご褒美に2年振りの海外へSURF TRIP。



greeting from the cool soldiers

行き先は、Land of Mystery “パプア ニューギニア (PNG)”

2年前の前回は、 Incredible “インディア”。

ボード担いでバックパック背負って、とりあえずエアアジアで格安チケット探したらコーチン行きだったので、そこからインド入国。

行く予定だったサーフキャンプにインドに着いてから「コーチンから明日そちらに行きたいんですけど、どうやって行けばいいですか?」って電話したらモンスーンでクローズ中、、、。って、マジスカ?、、、どうしよう、、、。どんだけ準備不足なんだ?

っていう行き当たりばったりの、それも奥様と、、、っていう珍道中。

いゃあ、今思い出せばハードだったというか、まぁよくも波乗りやらないうちのプリンセス連れて行ったなっていう、自分でも笑っちゃうくらいのトンデモナイ旅だった。




でもその計画性の無さがたたり一生忘れるのことできない旅になったのだけど。

さて、今回はパプアニューギニア政府観光庁お墨付きのプロサーファー同行ツアー。


http://pngfan.jp/surfing/


PNGサーフィン親善大使で、いつも個人的にもお世話になっている、山田弘一プロと吉川共久プロから何年も前からお誘い頂いていたのになかなか行けず、今年ようやく晴れて参加できたのだ。


at Vanimo airport

今回はツアーということで、貧乏インド旅と違って、宿も飯も交通手段も全てオーガナイズされていて、波があるかないか以外はな〜んの心配も必要ない。

考えてみればツアーで旅に行くなんて高校の修学旅行以来だ。

何より空港に着いてから目的地までの交通手段を探さなくていいこと、宿探しも必要ないこと、バックパーカーの旅でこの2つが最も苦労するところだけれど、それが段取りされているということが、こんなにも気が楽だとは想像をはるかに超えていた。チケットの手配なんかも当然必要ない。そしてその分のエネルギーを波乗りとヨーガに集中できた。


in the blight tropical green...Vanimo surf camp...photo:KO1

前半の1週間は、Vanimoというインドネシア国境近くの町からすぐの村にステイ。

ハリケーンの影響なのか毎日強風に泣かされ、残念なことに目的のライトのブレイクは一度も姿を見せてはくれなかった。


breaks around Vanimo surf camp

とは言っても、たくさんポイントがあり、風の合うブレイクに行けば日本の波情報的評価ならば80〜90点は優につく波がブレイクしている。



dangerous super shallow Yako left....  photo:Yossy

残りの1週間は、Tupiraという田舎の村にステイ。ハリケーンが遠ざかり風も弱まり毎日波乗三昧。


in the morning sun beam.... photo:Yossy

smiles that heal u....so innocent n pure....

後半うねりがピークを越えてからは、明日からサイズダウンするという予報が毎日つづき、それはてーへんだっ!なくなる前にやっとかないと!っつーことでやれる時にやれるだけ入っていたにもかかわらず、波は最終日まで続き、1日たりとも休ませてはくれなかった。


Tavulte 400m left...can't paddle back... photo:Yossy

我が波乗人生で、あそこまで身体がバキバキミシミシギッコギコ言うまでサーフィンしまくったことは思い出すことができない。人間の体も使い古したチャリのチェーンのように、油が切れた状態になるってことを知って驚いた。




旅の目的は波乗り。言うまでもない。

とはいっても、波が無ければ波乗りはできないわけだから、トリップに行っても波乗りできない可能性はとても高い。そればっかりはどうしようもない。

スーパーヨギーになって、神通力を使いこなせられればいとも簡単に波なんて起こせるだろうけれど、その前にもしスーパーヨギーであれば、「自分がいい波に乗りたいから」なんて理由でそんなことに神通力を使おうなどとはそもそも思わないだろうから、やっぱり波が無ければ雪の無いスキーヤー、山の無いクライマーと同じなのだ。波が無いその現実を受け入れるしかない。

さて、今回のPNG surf trip。幸運なことにもピッタリのタイミングでエクセレントな波に当たった。1週間早ければストーミーでダメ、遅ければ無くなった後でダメ。Tupiraは1日もズレることなくストーミーとフラットの間の1週間だった。これはただラッキーというよりは奇跡的なことが起こったに違いないと思っている。

good waves and wonderful friends at Tupira...photo:Yossy

旅というのは未知との遭遇だ。

普段の生活から抜け出して、非日常を体験することになる。

そこで日常的に体験できないことや、初めて直面する現実を目の当たりにした時に、普段夢にも思わないようなことや、今までそんなことを考えたこともなかったようなことが、頭の中に浮かんでくる。


それにどう感じてどう反応してどう捉えてどう解釈してどう納得するのか、、、。その自分の心の動きを観るのが僕は好きなのだ。

それは僕が旅をしていることを実感する瞬間のひとつ。

だからピンチになればなるほど、日常生活と距離的にも文化的にも風習的にも人種も言葉もかけ離れていればいるほど、怖い反面テンションはうなぎ登り。

まぁ今回はツアーだから、バックパッカーの旅みたいな興奮やヒヤヒヤ感はないでしょ、、、と高をくくっていた僕は、この旅が思いもよらない貴重な体験をさせてくれる旅になろうとは微塵だに想像していなかった。

気にしていたのは、波があるかないかそれだけ、、、。


電気も水道もガスも携帯もパソコンも無く、その日食べる分の魚や野菜を取って、日の出と共に起き日の入りと共に床に入る、スーパーシンプルライフ。

でも、そんな生活をしている人たちが見せる笑顔や仕草や振る舞いに、あんなに胸キュンするなんて全く心の準備をしていなかった。


もはやキュンどころではなく、ぎゅっと鷲づかみにされて締めつけられると言った方がいいかもしれない。

現地の人たちが素晴らしいとか、フレンドリーだとか、子供が可愛いとかいうのは話には聞いていたし予想もしていた。

でも、やはりその場の空気を吸って接して体験するしか伝わってこないことがある。

物質的には何の不自由もなく、逆に有り余って毎日膨大な量の家庭ゴミや粗大ゴミや産業廃棄物がそこかしこで排出され、食品廃棄物は毎年1700万トン、1日当り4万5千トンにのぼり、世界一を誇る経済大国にっぽん。

その反面、約40人に1人、合計320万人が精神病患者。さらに毎日約80人、年間3万人が自殺し、自殺率は世界で第3位。

これは明らかに精神と物質のバランスが物質に偏っていることの証明だ。

Tokyo concrete jangle
 
パプアの子供たちが見せてくれた笑顔、子供たちだけではなく大人も恥じらいながらも笑顔で話しかけてくる。

日本ではあまりお目にかからない、混じりっけのないピュアでイノセントで、何かこうハッとさせられるような笑顔だ。

お金や物や名誉や権力が、人の心を真の幸せに満たすことはできないと、みんな心のどこかで分かっているにもかかわらず、人類全体の意識が物質の方に向かっている真っ只中にいると、それを求めなければいけない、それが必要だという錯覚に陥ってしまう。

本当の金持ちを知りたければ貧乏の底の底を経験しなければいけないし、本当に満腹感を得たければ飢えを知らなければいけない。最高の快感を知るには究極の苦しみを味わなければ分からない。

だけど周りを見渡すと、そういう苦しみや辛さは避けて、より楽に便利に簡単に、をテーマに人々は右往左往しているようにしか見えない。

そしてその結果、苦労や苦痛に耐える力は衰え、さっき言った精神的に病弱な人間社会を作りだしてしまっているのではないだろうか。耐えることができない。


「Keep It Simple Stupid!!」

サーフィンフォトグラファーの巨匠、Dick Hooleさんから頂いたこの言葉。

Dickさんが、「カオル、全ては“KISS Theory”だ。無駄を省いて馬鹿げてるくらいシンプルにしろ」と何度も何度も繰り返していたこの言葉。

in front of my desk
僕の頭の片隅には常にこの言葉がある。

どうしてもあれもやった方が良い、こうした方がカッコいいとか、ついつい色々と付け足したくなって最後には膨れ上がってしまう。

そして一度付け足してしまうと、そこから削ぎ落としていくのはとても難しい。

でもシンプルなものを創り出す為にはその過程が必要なのかもしれない。

例えば、パプアはその自然のままが良い、シンプルな営みが良いと言って、ローカルの人にそれをいくら説明しても、理解してもらうのは難しいと思われる。

ほとんど人は電気のある生活の方が良いと思うだろうし、お金も車も欲しいだろうと思う。

それは、僕のような物質の溢れる世界に産まれ育って、精神的ダメージを受けて、身をもってお金や物質的なものを求めることによっては、心の安らぎは得られないという経験のプロセスを経た後に初めて、シンプルな生活の中にシャンティを見いだせると感じるようになるのかもしれない。(それが良い悪いではなくて、あくまでも僕個人の意見なので、悪しからず、、、。)

まぁ、精神性の高い目ざとい人はそんなこと経験しなくても分るだろうけど、、、。

誰も生まれてくる場所を選ぶことはできない。それは過去から延々とぶっ続けで繋がっている様々な因縁によりどうしようもない。避けることはできない。

そこには日本に生まれてきた意味がある。

ハワイやオーストラリアに移住したいとか、日本を抜け出したいとか思っても、そうなっていないということ、そうはさせてくれない何かやしがらみがあるということは、現時点での僕には何か日本でやらなければいけないこと、片付けなければいけないことがあるのだろう。

オージーやハワイアンと自分を比較して羨ましがるのではなくて、運命だからしょうがないと悲観的になるのではなくて、その現実を真っ正面から受け止めて、今自分のやるべきことをコツコツとやっていく。急がば回れ。

そこに僕の人生の最大のテーマであり、この人生の全てかけて実現させなければいけない「365日 波乗りだけ」という、究極のシンプルライフが、現実味を帯びてくるのかもしれない。もしかすると来世に持ち越しかもしれないけど、そんなことは言ってられない。みんなは笑うかもしれないけど、やるしかないのだ。


と、まあ、すごい話の飛び方をしましたが、、、ここら辺でやめときましょう、、、。

で、話しを出だしに戻すと、旅とは僕にとっては、自分を知るためのツールだなと、自然も人間もありのままのパプアから、宇宙ステーション成田空港へ戻り、帰路の電車の中で改めて思ったのでありますた。

さて次は、どんな旅が待ち受けているのでしょう。



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2/28/2015

現実即理想


細かく突き詰めていけば、この一瞬一瞬の行動や選択、何を思うかによって、自分の未来は常に変わって行くわけだけど、その後の人生がそれまでとは全く違う方向に向かって動き出した転機が何回かある。

その中でも、one of the biggest と言えるのは、やはりあの島での2年半に亘る波乗修行生活と、そこでの師匠との出会いだろうと思う。それが無かったら今の自分というものは存在しないと断言できる。

先週その島に4年振りに行って来た。



低気圧が来るタイミングに合わせて仕事を調整するのが上手くいかず、2ヶ月程待たされたけれど、「ここだ!このタイミングしかねー!」とばっちりハマった一週間になった。

島行きを決めた日に、これまた偶然なのか必然なのか、島にいた頃にずっと一緒だったバディーから電話があり、その週末にウェディングパーティーをやるから、と言うではないか。

こんなにも上手く物事がかみ合うものなのか。あまりにも吉兆な出来事に遠足の前夜の子供のように、胸の高まりはとどまることを知らずなかなか寝付けなかった。

それも船旅。最近就航した新しい旅客船、橘丸だ。





早朝4:30頃アナウンスで目が覚めてまず最初の島に到着。考えてみれば最後に船に乗ったのは、その島が噴火してガスマスクが無いと上陸できない、という時だった。もう10年くらい経つだろうか。

時化によりイルカで有名な次の島には着岸できずに欠航が決定。船は待ちに待った最終目的地 Tacos Island へと航路を進んで行った。



その島が近づくにつれ沢山の思い出が頭の中を巡り出し、つかの間のノスタルジックなひとときを誰もいない甲板でゆっくり味わうことができた。

この旅は、もちろん波乗りがメインだけれど、師匠に会いに行くというのもこの旅の大きな目的だ。



それは楽しみであると同時に、緊張を伴う。

その緊張は、決していやな感じのナーバスというようなものではなく、その緊張により自分の精神が引き上げられて、普段は引き出されることのない能力が顔を出すような、自分にこんな能力があったのかと思わさせられるような、何かこうクリエイティブな緊張感と言える。

そして、もうひとつ。それが目的という言葉に当てはまるかどうか分からないけれど、今の自分のルーツがあるこの島で、当時を振り返り、過去の自分と現在の自分の意識を繋ぎ、それを未来の自分へと拡げていく、ということをやりたかったのだ。

普段のせわしない生活の中にいると、なかなか自分と向き合う時間がなく、自分の立ち位置を見失ってしまうことがよくある。

目を瞑って当時の自分に意識を持っていくと、やはりその場にいるだけあって、すっかり忘れていたようなことが、目まぐるしく浮かんで来る。

師匠の住む“波浪庵”に初めて訪れた時のこと、その後数ヶ月に一回程度ではあるが、何かと言い訳をつけて波浪庵に説法を聴きに度々訪ねに行ったこと、忘れることができない強烈に記憶に焼きつけられた極上の波の日、島を引き上げてインドに修行に行くと決めた時のこと、、、。



挙げればキリがないけれど、その頃を思い出してみると、当時夢にも思い描くことができなかった自分というものが、今ここに確実に存在している。

それはそれは摩訶不思議な感覚だ。

自分であるのに実態が無いというか、同じ自分であることは確かなのに、如何にもこうにも掴みどころが無いというか、果たしてどの自分が本当の自分なのか、、、

それがまた面白い。

よく5年計画とか10年計画とかを耳にするけれど、考えてみれば5年も前に立てた古くなった計画にしがみついて、それに基づいて行動するなんてつまらなすぎる。

何が起こるか分からないから、そのプロセスを楽しめるわけで、結果を先に立ててそれに突進して行くなんてことは、僕にとっては映画の結末を知っていながら知らないフリをして見ているようなものだ。平凡過ぎて刺激がなさすぎる。

当時、インドから帰って来て、この先の人生をどう歩んでいくか、どうしたらいいのか皆目見当がつかなかった。島に戻らないとは決めてはいたものの、どこに住むか、仕事はどうするのか、暗中模索状態だった。

そしてその時ここ東浪見のGREEN ROOF SURF ASHRAMにいた師に帰国の挨拶をしに行ったのが、なんとそのまま今に至っている。そして、現在の自分の姿というものは、当時思い描いていた未来像とは全く別のものになっている。

でも、それでいいのだ。というか、それがいいのだ。

以前は、物事が思い通りにならずに、理想と現実の間で大分苦しんものだけど、今のこの状態は様々な因縁によってそうなるべくしてなっているということ、そしてそれは避けられないということが、様々な体験を通じて最近少しづつ解ってきた。

そうすると、思い通りにならなかった時に、その現実を受け入れる余裕が出てきて、臨機応変にそこから新しい自分の未来像というものを描けるようになるのだ、ということに気がついた。

毎年1回は必ず帰っていたこの島に、4年も行けなかったというのは、それほど自分の身の回りで様々な事が起きていたということだと思う。

今 思えば、何でそんなことで悩んじゃうの?というようなことで頭を悩ませていたのが不思議だけれど、去年の前半は今までの人生でも稀にみる精神的苦悩に翻弄 され、それこそ人生お先真っ暗状態に陥っていたのが、後半からアレヨアレヨと思いもしなかったようなことが起こり出し、それがこの先の将来どう繋がってい くのか、否、繋げていけばいいのか、今は精神的余裕も生まれ、楽しみで仕方がない。

だからこのタイミングで島に行くことができたのだろう。




今の自分の立ち位置というものを再確認できたし、それを踏まえて自分のやるべきことが見えてきた。

波乗陀仏がいつもいうように、

「現実即理想、理想即現実 」

どこまで本気でそれを思えるか。





どう思うかは自分次第。それによって同じ局面に直面していても、まるで違う世界が展開して行くということ、それがほんの少しだけ解ってきたような、この先どうなるか全く予想ができないことが実は本当に美しい景色を見せてくれるということ、そしてそれを楽しめるということがそれこそ幸せな奴だということだと、改めて実感したトリップになった。

 
Photo from 西浜物語







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1/31/2015

怪談

久しぶりの感想文。

「怪談」

小泉八雲(=ラフカディオ・ハーン) 


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これは小泉八雲が、日本に古くから伝わる物語りに少しストーリーを加えて書いた物語り達だ。

各ストーリーはとても短いけれど、表現とストーリーの展開が美しくて、「怪談」というイメージからは到底想像がつかない感動的な結末が各ストーリーに待ち受けている。

正直、臆病者の僕はホラー系の怖い話しはあまり好きではないので、それで「怪談」と聞いたイメージで、日本の幽霊話しは怖い、という先入観があり、本棚にずっとあったのに手に取らなかったのだ。

どうやら僕は書くのが好きらしい。絵は下手、楽器も音感無し、歌は音痴と、どれをやっても続けられないのだけれど、書くことに関しては、子供の頃から好きだった気がする。

先日実家に戻った時に、小学生の4、5年生の頃の夏休みの作文が出てきた。小学生にしては長いと思われる原稿用紙4枚。

読んでみると、記憶の片隅にも残ってなくて、これ俺が書いたの?みたいな感じだけれど、それがなかなか読ませるのだ。ヘェ〜、そんな事あったんだぁ、みたいな。

だから、こういう美しい物語りを読むとすぐ感動してしまう。こんなの俺には到底書けないなぁ、羨ましい〜、と思うと同時に、文章が持つ魅力と人を感動させる力に参ってしまう。いい波の乗るのと同じように、気持ちよく読みすすんでしまった。

古代から伝わる日本の物語。それを読んでまず最初に受けた印象は、昔の人達は目に見えないものに対してとても敏感だった、ということだ。

直感で生きていて、感覚的、本能的な感じ。

目に見えるものと、見えないもの。

今、僕たちが生きているこの時代は、科学に基づいた教育というものを子供の頃から学校で叩き込まれているので、目に見えないものや、今の科学で証明できないものに対して、拒絶反応つまり信じられないということを起こしてしまう。

裁判で、地動説を唱えることを禁止された時の、 

それでも地球は回っているという呟きが伝説になっているガリレオ。

当時は、地球の周りを天体が回っていると信じられていた。「地球が回っている」と言っただけで裁判にかけられてしまう時代。


参考までに以下、ウィキペディアから
蛇足ではあるが、ローマ教皇庁ならびにカトリックが正式に天動説を放棄し、地動説を承認したのは、1992年の事である。しかも、それはガリレオ裁判が誤りであったことを認め、ガリレオの異端決議を解く際の補則、という形での表明であった。ガリレオの死から359年が経過していた。
2014年、アメリカ科学振興協会は、アメリカ人の約4人に1人は、いまだ地球が太陽の周りを公転していることを知らないという結果を公表している[7]



、、、。 

科学は新しい発見がある度に、常に答えが変わっていくものだ。今まで信じていたものが嘘だったということになってしまう。

それを「真実」ということはできない。

だから、科学を信じ過ぎるのは非常に危ない。原子力なんてモロそのいい典型。安全だって教えて、信じて、爆発したら「想定外」、、、。

過去100年間、人類の物質的な成長は、人類の歴史には例が無いほどの超高速スピードで突き進んできた。今もなお加速中だ。

目に見えるものと見えないもののバランス。

それは例えば、僕たち人間でいえば、肉体と精神。この目に見える肉体に見ることのできないけど確実に存在している精神、または意識というものがなければ、その肉体は生きているとは言わない。

さらに、人間社会に当てはめてみると、現在の状況は、物質的なものにバランスが偏って、精神的な部分がとても軽くなってしまっている。

だから、こんなに何でも揃っていて世界の先陣を切っている日本において、毎日75人以上の人が自殺している。

これは、まさに精神面での枯渇であり、完全な饑餓状態に陥ってしまっている。

毎朝の通勤ラッシュの電車の中で、目が生き生きしている人を見かけることはほとんどない。みんなどんよりしていて、いい大人が喧嘩しているのをよく見かける。

その点幸せにも僕には波乗りとヨーガという二本立てがあるので、精神的に病むということは余程のことがない限りあまり経験がしたことがない。

でも、この社会的に非生産的な波乗りとヨーガが生活の中での最優先事項になってしまうおかげで、毎日の生活の大半が仕事にしめられている人に比べると裕福ではないけれど、いい波に乗れてとても幸せなのだ。

「怪談」を読んで、こんなところにまで思考が飛ぶとは思わなかったけど、今にはない昔の人の純粋な姿を羨ましく思いながら、怪談とはほど遠い意外な結末が嬉しくて、時には感動させられながら、自分ももっとピュアに、そういう目に見えない不思議な縁や引き寄せる力にもっと敏感になって、これからも人生を愉しんでいきたいなぁ、と思います。


ちなみに僕のおすすめは、
「おしどり」
「うばざくら」
「雪おんな」
「青柳ものがたり」
「蟻」
この最後の「蟻」は物語ではないのだけれど、蟻の社会と人間の社会を比べながら、とても深く考察されていて、その発想の観点や論旨がとても興味深かった。

ここところの厳しい寒波で、これ以上背筋がこごえることはなさそうだけど、、、もしお時間あればお読み下さい〜。






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1/22/2015

『 ロング熱 』

去年の夏、代々木公園での反原発デモを封鎖する為に政府が流行らせた?というのがもはや通説となっている

『 デング熱 』。

ではなくて、、、。
 

実は、それと時を同じくして私の波乗人生を根底から覆す出来事が起こった。

『 ロング熱 』

う、つまりロングボードとの出逢いである。



波に乗るという魂を揺さぶる行為に出逢い、波乗中毒に感染してからちょうど20ずーっとショートボードばかりやってきた。
 

色んな板が好きで、シングルもけっこうやるし、ツインもクワッドもそれぞれの乗り心地は全く違う乗り物だ。 全部好きだ。
 

そしてその出逢いは向こうからやって来た。
 

この宇宙の始まりは一つの波だった。それは「原始重力波」と言われている。
 

ということはつまり、この宇宙に存在する全てのものは「波」であるともいえる。
 

私たちも、人間として、一つの波としてこのにやって来て、やがては去って行く。次に地球に生まれるとは限らない。
 

自分を宇宙の中心とすると、全てのものは波として向こうからやって来る。

出逢いもインスピレーションもチャンスも音も光も痛みも喜びも、、、全て。

そしてそれを見つけて捉えることができるか、見過ごすかは、その時の自分の能力次第とも言えるし、かりに見つけられなかったとしても、それはそういう時節ではなかっただけのこと。またの機会に違う形でやって来る、かもしれないし来ないかもしれない。

そうなるべくしてなっているだけの話。

ロングボードもそうだった。友達から使っていないロングボードがうちにやって来てから、しばらくは乗らずに置いてあった。今考えればもったいない。



去年の夏は波が本当に無かった。これはいいチャンスとばかりに始めてみると、全く乗れない。板が動かない。コケまくる。それも恥ずかしい格好で、、、

そこで火がついた。これは悔しすぎる。何で乗れねんだ

まるで初心者と同じフィーリング。一本波に乗る度に新しい発見と興奮と学びがあり、乗れば乗るほどのめり込んでいって、気持ちが抑えられないくらいに愛が深まっていくような、初恋に落ちた時のようなときめく気持ち。

それは半年経った今でも変わらない。ますます好きになっていく。この歳になってこんな気持ちを味わえるなんてなんて幸せ者なんだ。

夜寝る前、翌朝の朝一番の波に乗っているところを想像するとドキドキしてけず、見る夢と言えば、もちろんロングボードに乗っている自分。それも今までできなかったことがいとも簡単にできている。

ショートボードでは得られないあの重量感のあるスピード。ショートボードでは絶対に行けないところを抜けていくと、そこにはショートボードでは今まで一度も見たことのなかった光景と感触と経験と感動が待ち受けている。


同じ波に乗るという行為が、板の長さが変わっただけで、ここまで変わるものなのか、、、

かといって、ショートボードに乗る気がなくなったのかと言えば、全くそんなことはなく、逆に今まで以上に目の前のリップに思いっきりボトムで溜め込んだパワーを当て込みたい欲望でいっぱいなのである。

それも最近、師匠の波乗陀仏から親授された、夢のサーフボード、TRUE SURFBOARDS の Chumi Fish によって、僕の中のショートボード熱もますます加熱中である



これは二股をかけて両方失ってしまうような俗な話ではなく、、、ショートもロングもサーフィン全体の中の一部分であり、ショートで培った速くて過激な動きとロングでの大きいラインのアプローチを融合させることにより、波乗りの幅が格段と拡がり、ネクストステージへと向上するために、神様が20年目にしてプレゼントしてくれたのかもしれない。

ここまで愉しいと不思議なもので、普通であればこの体験の感動をみんなに教えてあげたいとかシェアしたいとか思うのかといえば全くそうではなく、これは誰にも教えたくない自分だけの秘密にしておきたいとまで考えてしまう。

そんなやつになる前に、この『ロング熱 』に感染してしまったことを告白しようと思いたったのだ。


さて、今から北に行くか南に下るか、、、。ショートにするかロングにするか、、、。贅沢な悩みを抱えながら支度でも始めますね。

こんなに低気圧に囲まれちゃって、どうしましょう、、、。





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1/16/2015

「やらなきゃいけない」

どうにもこうにもやらなきゃいけない事が多いらしく、波待ちの間にさえ「やらなきゃいけない」が頭の中を支配して、セット(波)を見逃すという大惨事まで引き起こし出したので、「やらなきゃいけない」について考えてみた。

「やらなきゃいけない」という時、

①本当はやりたくない、できればやりたくないけど、それをやらなきゃ次に進めない場合。

②次のレベルに進むために、練習なり勉強なりを段階を踏んでコツコツ積み重ねる場合。

①の例としては、現場が遠いから始発に乗らなきゃいけない。飯を食ってかなきゃいけないから、波のいい時も働かなきゃいけない。歯医者に行かなきゃいけない。仕事をスムーズに進めるためには、イヤミなアイツの愚痴を聞いて言いたいことをグッと飲み込まなきゃいけない。

、、、。上げればキリがない。

②の例としては、あの難しいアーサナや呼吸法、瞑想法ができるようになるためにはコツコツ練習しなければいけない。ボトムターンをより深くするために、オフザリップをよりバーティカルに攻めるために、デカイ波に乗れるようになるためにもっとたくさん波乗りしなきゃいけない。たくさん稼ぐために、より早くより綺麗に仕上げられるように手に技をつけて常に上を目指して仕事しなければいけない。

そして、もっと考えてみたら、あることに気がついた。

より快感を得るためにはより苦しまなければいけない。

当たり前すぎで開いた口がふさがらない感じではあるけれど、この事実は誰にも変えられない。

今、苦しみの真っ只中にいても、必ずその暗いトンネルから抜ける日は来るし、それが長ければ長いほど抜けた時の悦びとエクスタシーはより大きなものとなる。

そして、更に気づいたのは、①にしろ②にしろ、結局は自分の気の持ち方次第で、①にもなるし②にもなる。

どっちにしろやらなきゃいけないならば、文句は言わずにさっさとやった方がいい。文句を言わずに平然な顔してやっちゃえば、それは自分に帰ってくる。

文句や愚痴を言う奴とはあまり仕事したくないけど、文句も言わずにこなす奴には次から仕事も頼みたくなるし、そっちの方がカッコいい。

で、結局セットを逃してまで考えて何が出てきたかというと、その「やらなきゃいけない」を「おっ!いいね〜!やっちゃうよ〜!」って軽くこなせるデカい奴に、「ならなきゃいけない」じゃなくて、「なりたい」と思えるようになりたいと。どんなに面倒くさいことでも、「それ俺やっとくからいいよ!」って。

だからその「やらなきゃいけない」という苦痛や痛みの中に自分をグイグイ追い込むドエスな快感と同時にそれにやられている自分に快感を感じるドエムになることができれば、自己完結型で愉しむことができる?かなぁと。



とにかく今日はメーーーーッチャクチャいい波なのに、始発で仕事に行かなきゃいけなくて、俺何やってんだーーー???

ってなる前に、電車の中で書くことで頭の中を整理してみたらこうなりました。的な感じdeath 、、、。

今日も、いい波に乗った一日になりますように♪( ´▽`)




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1/14/2015

乗る

遅くなりすぎですが、、、
新年明けましてお目出度うございます。

本年も宜しくお願い致します。

雲に隠れてその姿を水平線から拝むことができず、、、



諦めて家に向かってしばらく歩いたところで、ビーチにいたKIBOKOからお兄さんに tel。

「太陽が顔を出しそう」だと。





皆で急いでビーチに戻ると、雲の隙間から溢れ出ている太陽の光が遠くの沖を照らし出し、




遂にそのご来光を拝めるのかを思わせたところで、何と不死鳥に姿を変えて現れた今年の初日の出。





毎年色々あるけれど、去年は色々な事がたくさん起きたというよりは、毎日の同じ事の繰り返しでありきたりのように感じる生活の中で、人生の転機に結びつくような『きっかけ』がいくつか起きた年だった。

それはまだ『きっかけ』なので、その花を咲かせられるかどうかは自分次第。それが近づくか離れるかは、自分の今のひとつひとつの行動、チョイスにかかってくる。

テイクオフは今から。今はその波をやっと見つけたところでまだ乗ってはいない。ピークに向かってパドルし始めたところ。

そう考えると、人生は本当に波乗りそのものだと、、、。

『ハイリスク・ハイリターン』

そのラインで攻めて、メイクできるのか、ワイプアウト(コケる)してしまうのか、、、。

その波(=チャンス)がでかくなればなるほど

① コケた時の損失や傷は痛い
② メイクした時の達成感や満足度は他では得られない。

守るか攻めるか。

その瞬間の状況判断で取る行動によって、その後は全く違う世界が展開していくという、原因と結果のカルマの法則。

限界を超えて無理して突っ込めば、板が折れたり怪我したり、下手したら死が待ち受けているサーフィン。

かといって、守りに入っていたら自分の成長は望めない。

これはそのまま普段の生活や仕事に当てはまる。全てひっくるめての生活全体、人生そのものが波乗りということ。

もちろん失敗は少ない方がいい。状況を見極めてギリギリのラインを攻めて自分の能力を高めていく。

というのは、今までの私が目指していたところですが、よ〜く今までの自分を振り返ってみると、突っ込んだはいいものの、7〜8割は失敗ばかりの人生だったな、と。

そうすると考えようによっては、①の方が私にとっては成長に繋がっている。

その波(=チャンス)に「行こう」という意思を持ったということは、自分が自覚しているか否に関わらず、自分にはそれをメイクできる能力なり可能性があると判断したからであって、仮に失敗したとしたらそれは今までの自分の努力不足や手抜き以外の何物でもない。

よく「あいつに〜された」とか「あいつがああやったからこうなった」とかすぐ考えてしまうけれど、あいつにそうさせたり、言わせたりしたのは他ならぬ自分であり、そのように考えるのは言い訳にもならない。

『深信因果』

自分の行動は、間違いなく必ず自分に帰ってくる。自分の身に起こる全てのこと、また自分の姿は、すべて過去の自分の行動とチョイスの結果であり、それは今回の人生だけではなく過去からの因縁も複雑に絡み合っている。

だから今の自分にはどうにもならない状況や逆立ちしても出来ないようなことは沢山あるけれど、それを出来る自分に変えていくのは「今の自分」しかいない。 

自分のしていることを疑ったり不安になったりすることは多々あったとしても、そんな時こそ『深信因果』。ブレることなく自分の可能性を深く信じて、諦めることなくこの一瞬一瞬を無駄にせずに生きていきたい。

適当に楽して努力を怠ると、それ相応の平凡でオーディナリィで惰性のまま生きているみたいな未来しかやってこない。そんな恐ろしい将来だけは何としても避けなければいけない。


スマパンも歌ってる。だいぶ古いけど、、、、。

 I fear that I am ordinary, just like everyone
To lie here and die among the sorrows
Adrift among the days... 




そのような『きっかけ』が見えてきたということは、自分なりに諦めずに継続してきたことの、ちょこっとばかしのご褒美なのかな、と。

ここに来てからの8年間、愚痴るわけではないけれど、正直辛い時間の方がはるかに長かった。事ある度に忍耐の修行だと思って踏ん張ってきたつもりだけど、そんな『きっかけ』が見えてくるのに8年も使ってしまった。

これはひとえに努力不足としか言いようがないけれど、そんなことより今年は、その波にちゃんと乗れるようにますます気を引き締めて、毛穴が全部開いて髪の毛が逆立っちゃうくらいアドレナリンを放出させて突っ込むぜっ!

、、、。

そんな勢いあり余る感じですが、本年も皆さま引き続き宜しくお願い致します。

皆さまにおかれましても、ますますいい波にたくさん乗って絶好調の一年になりますように。



 明日は低気圧が来てますね。良い波に乗れますように!







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