8/27/2012

8.一生にあらず二生三生なり

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1.Two Great Masters


 8.一生にあらず二生三生なり

 昨夜、大盛況のうちに上映会が終わり、僕たちが最後に会場を出ると同時に、まるで何かがせき止めていたかのような土砂降 りの雨が降り出した。それはただの偶然とは思えないタイミングだった。天もがこの25年振りの三人の邂逅を味方してくれていたのだろう。ツアー最終日の今 日は、今回のツアーで本当に楽しみにしていたことの一つ、お寺での座禅会がある。朝起きると、昨夜の土砂降りの雨は小雨になり、そのかわり蒸し暑さがジト ジトと襲ってくる。でもまたその何もしていなくても、ただじっとしているだけでじわっと汗をかいてくる感じが、いかにも夏らしくて気持ちがいい。
 
 波乗りと坐禅。何の関係もなさそうに思えるかもしれないけど、実は波乗りは瞑想的なアクティビティーだと僕は思っている。石井さんは、波乗りを坐禅の精 神に当てはめて実践している、ハードコア・サーファーだ。世界中探しても、あそこまで情熱を持って、命をかけて波乗りしているサーファーはそうそう見つか らないだろう。それはただ上手いとか下手だとかの見た目がどうのという次元ではなく、もっと精神的な高次元での、精神修養としての波乗りの実践だ。

 建仁寺塔頭西来院。道元禅師と縁の深いこのお寺で、坐禅を組めるというのは、なんと感 慨深いものがあるだろう。石井さんと道元禅師との縁を考えると、そこには偶然にしては出来すぎたストーリーがいくつもある。それは、また別の機会に譲るこ とにして、僕は石井さんは本当に道元禅師の生まれ変わりなんだろう、と思っている。その道元禅師が、1214年、師を求め門を叩いたのが、この建仁寺だ。今から796年前の出来事だ。

 ドキドキしながら門をくぐると、とたんに場の空気が変わった。目の前には綺麗に整えられた庭園が広がっている。京都 の庭師は、石に生えている苔をピンセットを使って整えていく、と聞いたことがある。庭を心に当てはめて考えてみれば、それはまさに瞑想だ。座って目を閉じ て、自分の心の雑念を取り除いて、心の隅々にまで意識を行渡らせるかのように、庭の隅々にまで繊細に気を配り雑草を抜いて、庭を造っていく。そのようにして造られた庭園を目の前に、その場の空気に身を委ねていると、自分の心もピシッと引き締まる。 

  その静寂の中、聞こえてくるのは、蝉の鳴き声と、鳥の鳴き声。そして、その音に包まれて、住職の和尚さんの柔らかな声が、耳に届いてくる。ゆっくりと、間を取りながら話すゆったりとした含みのある声が、静かな境内の隅々に染みわたっていく。時間の感覚はなくなり、空間さえも他の世界に飛び込んだような感覚にとらわれてしまう。



 Dickさん、石井さん、青山さんのレジェンド達は、その場の空気にスーッと溶け込み、和尚さまの話に耳を傾けている。 カメラマンの芳地さんは、まるで忍者のように音を立てずにアッチからコッチへ、気付いたら後ろへと移動して、虎視眈々とシャッターチャンスを狙っている。シャー ターを押すたびにその音が境内に響くのだが、不思議なことに、その音も心地よい一つの音として耳に入ってくる。ここでは、在るものすべて一つ一つ、空気や音、物質や僕たちの心までもが、全体を構成しているものの一つとして存在していて、それらは融合して一つの和となっているように感じる。すべては一つとよ く言うが、まさにそれを実感できる瞬間だった。  

 和尚さまの優しい声にいざなわれ、僕たちは坐って目を瞑り、「数息観」という自分の呼 吸の数を数えていく、という瞑想に入っていった。自分の呼吸の音、一瞬たりとも止むことなく境内全体にゆき渡る蝉の鳴き声、鳥のさえずる声は歌声のように アクセントとなって、全部が混ざりあってまるでオーケストラを聞いているようだ。突然、ピシャ!ピシャ!と鋭い音が境内に響き渡った。警策の音だ。和尚さ まと石井さんがお互いに合掌している。その二人の姿はとても神聖なものだった。 



 和尚さまは「坐禅は自然と一枚岩になることです。」 と仰った。そしてサーフィンのことを「波と一緒に花が咲く。波と握手して一体となる。」と続けられた。石井さんが和尚さまとの話の中で、道元禅師が書いた正法眼蔵の中に、「坐禅は一生にあらず。二生三生なり。」という言葉があり、それに出会った時に私自身すごく感銘を受けた。この先10年、20年サーフィ ンをやっても、一生ではサーフィンというものを究めつくすことはできないだろうと思う。そのときに「二生三生なり」ということば聞いて、坐禅というもの を、波乗りに置き換えて考えてみれば、波乗りも二生三生やらなければいけないと、私自身結びついてきた。そこで、坐禅の精神とサーフィンの精神というものは、自然と一枚になるという意味で同じと考えてよろしいでしょうか。と問うと、和尚さまは「もちろん、よろしいと思いますよ。天地一枚にならなければ、あの波乗りはできないと思いますよ。」と優しい声で答えられた。

 石井さん、Dickさん、そして青山さんという三人のリビング・レジェンド達と、京都のお寺で一緒に時間を共有できたということは、忘れられない一生の思い出になるだろう。最後に和尚さんが仰ったように、このような素晴しいご縁に感謝の気持ちでいっぱいになった。

 今振り返ると、この25年振りのAsian Paradise Tour に参加できたことは、未だに信じがたくて、本当は夢だったんじゃないかと思ってしまう。今でも目を閉じると、言葉少なに肩を並べる石井さんとDickさん の二人の背中、そしてその二人から発せられているエネルギーが一つに溶け合って、大きなオーラとなって溢れ出ている姿が、まぶたの裏に焼き付いている。

 
 伝説の映画『ASIAN PARADISE』 から25年。石井さんは、波乗陀仏になって帰ってきた。「波乗りは一生かけても究めることはできない、、、」。自然と一枚になって波乗りする波乗陀仏は、 今日も八丈島の楽園で自由自在に波に乗っていることだろう。

ー完ー 




 
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