ちゃんとバスが見つかるか。
バスを降りてから、ビーチまでどのくらいあるのか。
バスがビーチのすぐそばまで行くとは考えにくい。
降りてからはリキシャか徒歩か。距離は?値段は?
今度はバスに板をどう積み込むかだ。
今朝乗った新型バスなら大丈夫だけど、オールドスタイルのローカルバスの場合どうするか、、、。
なるようになるんだから、そんな心配は意味がないとは分かりつつも、ついつい考えてしまう。
でもその前に、バスを見つけなければ、、、。
しつこいけれど、インドでは道を尋ねても、「知らない」とは答えは返ってこない。知らないということもノープロブレム。
知らなくても反対の方向を指差して「すぐそこだ!」とか、「そこの角を曲がって just 5 minits」とか言って、実際は15分歩くなんて日常茶飯事。
答えは常に自分で見つけなければならない。
自分の直感で決断するしかない。
インターネットで検索すれば知りたい情報はすぐ見つかる時代だけれど、最後の最後は自分の意思で決めることになる。
この状況だからしょうがない、というのはただの言い訳であり気休めであり、何かのせいにしてるだけ。
今自分がここにいるということは、過去の自分の選択や行動の結果が現れ出ている姿で、それらすべての選択は、自分の意思で行ってきたことだし、この先も行っていくこと。
インドはそう安々と答えは教えてくれないし、手を差し伸べてもくれない。
それがインドの旅の醍醐味のひとつ。
ことあるごとに選択を迫られ、自分と向き合って答えを自分の中から出さなければいけない。
そのような時に出会ういろいろな「自分」との出会いが一番面白い。
世界中から来ている旅人との出会いもたくさんあるけれど、日本で日常的な仕事をしながら生活している時には出会うことのできない「自分」。
その瞬間の判断で、今後の旅の全てが変わって行く。
人生は旅だ。なんてありふれた言葉だけれど、それを身を以て経験させられる。
未来は常に今この瞬間の選択、行動によって変わって行く、、、。
そんなことを考えているうちに駅に到着。
さて、バス停バス停。
サーフボードを物珍しそうに見つめてくる視線を払いのけ、しつこいリキシャの運ちゃんを振り切り、バスステーション発見!
すると、バスは外のストリートから出ると言う。
やっぱりな。あのおっさんめ〜!
しばらく雨宿りをしてから、舗装されていない水たまりと泥だらけ道を引き返し、外のバス停に。
しばらく雨宿りをしてから、舗装されていない水たまりと泥だらけ道を引き返し、外のバス停に。
作戦としては、一番後ろの席を取って、なんとかしてでも板を後ろに置き、さらに座席もゲット。
その後は、今までの心配が嘘のようにすんなり目的地まで到着。
が、しかし、先ずは宿探し。長旅の末の値段交渉は、心が折れやすい。疲れてる上に、手頃な部屋を探し宿を渡り歩くのは身に堪える。そこにつけ込んで高値を言ってくる。
波を見てテンションが上がって来ると同時に、隣のお姫様のテンションはガタ落ち。
だいたいあんたに付き合ってこんなとこまで来てんだし、波なんてどーでもいいから、早く部屋に入ってお休みしたいんですけど、、、的な。
口には出さないけど、そうだよね。
「私、ここで休んでるから部屋探して来て。サーフボードは見といてあげるから。」
といって、広場の木陰に座り込んでしまったワイフ。
来たー!男のミセドコロ。
ここでお気に召す部屋を納得のいく安値で見つけてこないと、エスコート失敗。夕方の波乗りはお預け決定。
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