チベットに日本人で初めて潜入した僧侶。時代は文明開化の明治後期。
当時は鎖国で完全に閉ざされていた謎の秘国『チベット』。
その旅の旅行記を最近読んで、久しぶりに心を揺さぶられてしまった。
たまたま Amazon Kindle の無料本 で発見。前から知ってはいたけど、手に取ることはなかった本の一冊。
「おっ、タダじゃん! 読んでみよう!」的な軽い感じでダウンロードしたが最後、読み始めたらもう止まらない、、、。
一言、「この人、半端じゃねぇ。」
自分の命など顧みず、ただ情熱に突き動かされて、不可能を可能にし、奇跡を起こし、必要なものを引き寄せて、夢を現実のものに変えていく様子はまさに仏の神通力。
目的は、サンスクリット語とチベット語で書かれた、お経の原典を手に入れること。
たまたま Amazon Kindle の無料本 で発見。前から知ってはいたけど、手に取ることはなかった本の一冊。
「おっ、タダじゃん! 読んでみよう!」的な軽い感じでダウンロードしたが最後、読み始めたらもう止まらない、、、。
一言、「この人、半端じゃねぇ。」
自分の命など顧みず、ただ情熱に突き動かされて、不可能を可能にし、奇跡を起こし、必要なものを引き寄せて、夢を現実のものに変えていく様子はまさに仏の神通力。
目的は、サンスクリット語とチベット語で書かれた、お経の原典を手に入れること。
お金も無い、つても無い、地図もない、言葉も知らない。
人の歩く公道には関所があって、絶対に通れない。もし見つかって日本人だとバレたら死刑。死刑ですよ、、、。
道無き道を、虎など猛獣のいるヒマラヤの極寒の山奥を、木の根をつかみながらよじ登り、もし滑って落ちたら谷底へ真っ逆さま。
チベットの国境に着くまで、日本を出てから丸3年。
そしてここからが命をかけた潜入アドベンチャーの始まりはじまり。
出家して寺で修行するのは簡単だ。
道無き道を、虎など猛獣のいるヒマラヤの極寒の山奥を、木の根をつかみながらよじ登り、もし滑って落ちたら谷底へ真っ逆さま。
山賊に襲われすべてを失い、氷の流れる激流に流され、猛吹雪の中動けなくなり死を覚悟し目覚めたら何日経っていたのか分からない、、、。命をかけて、ひたすらラサ(チベットの首都)を目指す、、、。
よく生きて帰って来れたなぁ、と思わざるを得ないアドベンチャー。
師本人が自分で書いた旅行記なので、感情移入して読んでいると起きていることが日常の当たり前のような気がしてくるけれど、客観的に観てみると、本当に奇跡の連続としか言いようが無い。
よく生きて帰って来れたなぁ、と思わざるを得ないアドベンチャー。
師本人が自分で書いた旅行記なので、感情移入して読んでいると起きていることが日常の当たり前のような気がしてくるけれど、客観的に観てみると、本当に奇跡の連続としか言いようが無い。
まずは言葉を勉強するところから始まる。パーリ語、チベット語、サンスクリット語、英語。
日本出立の齢は、今の自分より若く、32歳。
日本出立の齢は、今の自分より若く、32歳。
チベットの国境に着くまで、日本を出てから丸3年。
そしてここからが命をかけた潜入アドベンチャーの始まりはじまり。
次に何が起こるか予想のできない手に汗にぎる展開は、寝る間も惜しんで読みたくなってしまう。
そのストーリーさながら、何より感銘を受けたのは、河口慧海師の自己鍛練による規律正しさだ。
もし仏法僧であるのであれば、もちろん戒律は守らなければいけない。
読んでいると、クリティカル、批判的な表現に多々出くわす。でもそれは、師が僧としての戒律を厳しく守っているからこそ出てくる言葉であって、自分のことを棚に上げて批判しているわけではない。
チベット僧(もちろん日本の法曹界も含め)の酒飲、肉食、妻帯などは、師からみると堕落としてしか目に映らないのはうなずける。
出家して寺で修行するのは簡単だ。
誰にでもできる。ただ寺の規則に従って、他の僧と一緒に寝起きして修行すればいいだけだ。
一番難しいのは、一人でそれをやることだ。
寺やアシュラムにいれば、朝5時になれば誰かが起こしてくれて、そのまま読経、坐禅する。あとはみんなと一緒に生活すればいい。
でも、一人で毎日それをやるというのは、余程の意志の強さと胆力、妥協しない精神力がなければできない。
この “self discipline” -鍛錬による自己修養。これが一番難しい。
師の、揺るぎない芯の強さと自己を律した姿勢は、人々の心を動かし、その時に必要なものを自分に引き寄せ、窮地を救い、不可能を可能にし、ついにはダライ・ラマ13世にも謁見することになる。
僕が好きなのは、師の頑固さだ。
納得のいかないものはどんなものでも頑に断る。他人にどう説得されても自分の意思を貫き通す。 その強さ。
チベットでは最高位のダライ・ラマ法王から潅頂(詳しくはWikipedia)を受けるという話しがあった時も、いくら偉いダライ・ラマといえども、肉食をする者から潅頂を受けることはできないと断ってしまう。
ダライ・ラマから個人的に潅頂を受けることなんてことは、普通のチベット僧からしてみたら夢もまた夢、有り得ないどころか、考えることすら畏れ多いことである。それを日本から来た一介の僧が断ってしまう。
そんな河口慧海師と自分と重ねた時に、浮き彫りになってくるのが、
意志の弱さ。
いつもこれに悩まされている自分にとって、鞭で叩かれているような、人に見られたくない自分の弱さを見られてしまったような、情けなくて悔しい気分を味わってしまった。
そんな自分に嫌気がさして、もう少し意志の強い人間になるためにも、ワタクシ、一念発起いたしました。
欲に振り回されるんじゃなくて、こっちが振り回してやろうじゃねーか!負けてられるか!やったるわぃ!
ということで、始めました。すぐ人に影響されるんだから、真似するんだから、と言われても気にしない。
不非時食戒。
お坊さんが守らなければいけない 十戒 というがある。今の日本でちゃんと守って修行しているお坊さんがどのくらいいるものなのか、は置いといて、、、。
その十戒の一つ。
ワタクシ仏教徒ではないけれど、仏法からはいつもパワーとインスピレーションを頂いてる。
非時とは、僧が食事をしてはならないと定められた時。正午から翌朝の日の出前までの間。
要はお昼以降は、食べ物を口にしない。というもの。
自分にとって、一番コントロールできないのが食欲。
肉食に関しては、我慢するどころか、肉を食べないで済むという贅沢な選択ができることに心の底から感謝と幸せを日々感じているので、全く問題はないけれど、こと食べることに関しては、どうしても制御がきかない自分にとって、晩ご飯が食べられないのは最も恐怖な挑戦なのだ。
といっても、昼の12時以降に食べないというのは、ランチタイムが12時からなので、それはちょっとキツいので、ランチ以降ということで。
なので “ほぼ不非時食戒” という、河口慧海師が聞いたらお叱りを受けそうな甘っちょろいものですが、すでに始めて十日。
空腹に耐えるというのも、まんざら悪くないというのが分かってきて、この先も愉しんでやっていけそうだ。
こんな個人的修行を公開するのはやめようかと思ったけれど、なんせ意思が弱い自分のこと。引けない状況を作らないといつ心が折れるかしれないので、誠に勝手ながらここに公表するに至った次第でございます。
そんなことは置いておいて、
本との出会いは人との出会いと同じく、人生を豊かにしてくれるものだということを、改めて実感させられたこの出会い。
より higher state of spirituality 仏向上事を目指すべく、背中を押してくれた出会いに感謝を込めて、、、。
1 件のコメント:
なぜ不非時食戒というものがあるのでしょうか?
五戒などを調べてみると、瞑想の観点から
分析するとその理由もよくわかるのですが
これだけがよくわからないのです。
ご存じありませんか?
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