8/24/2012

5.Miraculous Reunion

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5.Miraculous Reunion


  一日の移動日を入れて次の目的地、京都へと向かう。京都ではPRO BIG WAVERの青山弘一氏がプロになられて38周年記念パーティーと合わせての開催だ。
 
 青山氏は、海のない京都という都会に居を構えているが、ハワイのワイメアの20feet の大波に56歳になられた今でもチャージする、現役のハードコアな Big Wave Rider だ。水泳でも、今年2009年、自己の日本記録を更新された。30年間ハワイに通い続け、冬のワイメアに照準を合わせ、血のにじむような修行を自分に課し日々精進されている。

「アジアン・パラダイス」に出演した事が、
波乗りに対するハングリーなココロをもっとも動かしたという。
当時から今日まで30年間毎冬ハワイに通い続け、
波乗り道を追求している。
PHOTO : ASIAN PARADISE
 1984年には、アジアン・パラダイスに出演し、石井さんと当時のトッププロたちとスパイスアイランドに行かれている。そのことを青山氏は「この映画に出 演できたことが、僕のこれからのプロサーファーとしての生き方を大きく変えて行く出来事になった。この映画の中で他のプロサーファーを見ていたら、自分に ももっと出来る「何か」があるのではないだろうか?と考えさせてくれた貴重な旅であったと思う。それほどまでに、僕のサーファーとしての夢や方向性を導い てくれたのは石井さんである。誠に有難うございます。こんな機会を与えてくださって・・・。」と、当日来場者に配られた、Special Text Works の中で書かれている。そしてこの熱い思いが25年振りの京都での上映会を実現させたのだと思う。
 
 京都での上映会は事前に公表されることなく、青山氏の完全招待制で行われた。石井さん、Dickさん、そして青山氏という三人のリビング・レジェンドが 四半世紀振りに巡り会うという得難い瞬間をシェアすることは、青山氏と直接縁のある者のみに許された特権となった。Dickさんが日本に来ること事体、25年振りだ。 

 アジアン・パラダイスの後、石井さんは、突然表舞台から姿を消し、離島に籠って、波乗り修行に徹するため自給自足の生活を始めた。「SC」は当時2~3万人の固定読者を持っていたにもかかわらず、それを突然、 それも次号の予告が出ているのにやめてしまった。普通そんなことやるか?と思わざるをえない。このことを考えると、もし自分だったら同じことができるだろ うか?と思う。そのまま雑誌を続けていれば、一生の生活は保証されていたはずだ。何のためにそれを手放す必要があったのか?

電気と井戸水だけで、ガスは無く、冬は暖房も無い生活。
自家菜園で採れるわずかな野菜と、地元の人からの差し入れで食をつなぐ。
車も持たず、片道1時間かけて、
崖の上の波浪庵とサーフポイントを徒歩で毎日往復する。

PHOTO : Hiroyuki Houchi
 


 そのことについて、先ほどのSpecial Text Works の中で、青山氏はこう結んでいる。



波乗りとは合気道のように争うものではなく、自分のために修業するものであり、自分自身との戦いでもある。

波に打ち勝つようなものでもなく、ましてや他人に勝つためのものでもない。

自然の大きさに飲み込まれないように毎日日頃からの精進が大切である。

今の日本の波乗りは違う方向に進みつつあり、今の政治と同じように波乗りの業界のものが自分の欲のために進んでいると思う。

石井さんは、20数年前の当時からその波乗り業界のスポンサーの方向性と編集者の方向性の食い違いに嫌気がさして、雑誌編集の世界から波乗りの実践を行う世界に行かれたように思う。

今、残念でならないのは、石井さんのような方向性のある雑誌が今でもあれば、もっと素晴しい形としての日本の「波乗り道」が発展していたかもしれないということだ。


 
 しかし、かく言う青山氏ご自身も、波乗りの実践の世界に身を置き、並々ならぬ波乗り修行を日々精進 して来られている。四国の海の目の前にサーフボード・ファクトリーを建て京都から通い、そしてご自身で削った板でワイメアの波に乗る。さらに、水泳で身体を鍛え冬のワイメアのビッグウェーブに備える。多いときは一日に6時間も泳ぐという。気合いの入り方が半端じゃない。つい最近の大会でも、日本新記録を更新された。 

このドロップがすべてを物語っている。
Just GO FOR IT!! 乗っている時は、すべてがスローモーションのように見えると言う。
この瞬間のために、並々ならぬ修行を日々精進されている。
まさにREAL SOUL SURFER だ。


 そしてDickさんも世界中を飛び回り、サーフィンの写真と映像を撮り続けてきた。1977年に「チューブラー・スウェ ルズ」、その後2年を費やし「ストーム・ライダーズ」を制作。アジアン・パラダイスでは撮影監督として、石井さんと一緒にインドネシアを飛び回った。その 後もサーフィンの写真と映像を撮り続けている。2002年には英国女王陛下からサーフィン・フィルム貢献賞を受賞している。今回も、ハワイからこのツアー のために来日し、一旦ハワイに戻り、オーストラリアに帰ってからすぐインドネシアに飛んだ。60歳とは思えないくらいフットワークが軽い。

ASIAN PARADISE の中で、全体を通じて伝わってくるメッセージは、
まさにThis is what a surfing adventure is all about」!!
25年経った今、Dickさんの口から何度となく繰り返し出てきた言葉は、
「Adventure continues…」だった。

  その三人が、日本の文化のルーツである京都というスペシャルな場所で、25年を経た今日、顔を揃えるということは、まさに「奇跡」としか言い様がない。


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